ホーム留学奮闘記過去ログ|1999年〜2001年
留学決意  まだ中学生の頃、次第に高校受験が迫ってきた時期になり、高校について一人で考えていると何故か人生について考えるようになってしまった。

高校入ったら大学の事考えなあかんのだなぁ

みんな大学受験に悪戦苦闘するんだろうなぁ

めんどっちぃなぁ。みんなと他の事やりたいしなぁ

(当時流行っていたX-ファイルを見て)英語話せたらいいなぁ。

留学っていう手もあるぢゃん

その事を親に話す→→→→親:「あー行っていいよ」

留学決定

人生ってこんなものなのか、と中学生の時点で少し悟ってしまった。
ICS留学ジャーナルとの
出会い
 留学について具体的な事を決めておらず(図書館で「成功する留学」という本を借りて読んでいたぐらい)、少し焦りを感じてきたので本屋へ留学に関する本を買いに行く。なにげなくパッと取ってみた本。それが「留学ジャーナル」だ。これを読むまで、手続きを自分でしなければいけいと勘違いしていたので、留学手続代行会社(でいいのか?)という存在には歓喜した。うん。ホント。 「留学ジャーナル」には当然のごとく、代行手続きについての過程や、留学後のサポート等も載っており、読んでいる内に安心したせいか留学する時はここにしようと(即)心に決めた。2文字で言うなら決心した。
留学カウンセリングの開始  留学ジャーナルでは留学カウンセリングを無料で行っている。無料なんだから行くしかないね。こりゃ。ということで早速電話で予約(テープガイダンス)してカウンセリングルームがある名古屋国際センタービルへ(カウンセリングセンターの詳細はホームページで)。センタービルへ入った途端、何故か国際人になったような優越感というかそんなのが浮き出てきた。うへへ。
 そしてカウンセリングルーム。思っていたよりも狭い感じがしたのを覚えている[ 遠回しにガックリしたという表現です ]。受け付けへ行き、初めてのカウンセリングと言う事でカウンセリングシートを渡され、ちょうど真夏日だったので汗ダーダーにかきながら書いていると名前を呼ばれ、カウンセリング席?へ。そして当然の如く留学について質問され、具体的にまだ決まっていない事を伝えたら、それじゃあとりあえずTOEFL受けてみようか、という流れになりその日のカウンセリングは終了。
TOEFLに挑戦
そして謎の歓喜
 TOEFLについての知識は皆無だったので、インターネットで調べている内にパスポートが必要なのが解った。一度も海外へ行った事もない俺は当然パスポートを持っていない。まぁ、いづれはパスポートが必須になるので、今のうちに取得しておこうかと思い区役所へ住民票と戸籍の写し、申し込み書を取りに行った。(〜中略〜)そして見事パスポート取得。

 TOEFLの予約し、試験会場へ向かう。30分前に集合なんだが、見事に32分前に到着し一段落。手渡された合意書を書き、パソコンで写真を撮り、いざ試験用パソコンの前へ。目の前に映し出されている"TOEFL"の文字を見るとなんだか緊張感が増してきた。ような気がした。
 リスニング等を、さも順調にクリアしていったかのように振る舞い、最後のライティングに突入。出題された課題は「学校に寄付金が送られてきました。あなたなら何に使いますか?」というもの。最初の7分ぐらいこの文を理解できずにすごい考え込んでいた。そして理解できた時には既に残り8・9分。とにかく急いで書いたおかげで自分でも理解できない文が完成。何を書いたのかも覚えていない始末。その結果、点数は○60点(6でも5でも4でも2でもないです)。
この結果を聞いた時にでた言葉が「やっぱりな」だった。

 その後はいろいろあったけど、ゴク普通の高校生活を送り、2002年の1月再びTOEFLをウケタ。そして再び試験会場へ35分前という際どい時間に到着した。(〜中略〜)試験日から7日後、電話で聞いたところ点数は420点。当然大学入学点には到達していないが、何故かすごいプラス思考になっていて結構喜んだ。今考えるとここは落ち込む所だろ、と、その時の自分にツッコンでやりたい。
大学選びスタート  そして後日カウンセリングの予約をしてカウンセリングルームへ。そこから具体的な事を決める段階に入った。まずは留学先の大学絞りから。条件としては俺は会計学を専攻したいという理由から、まず会計学がある事、そして卒業後留学生でもCPA(米国公認会計士)が受験可能な州である事、そして授業料・生活費がお手頃な事が主な条件。あと、オマケ的な条件は、施設が充実している事、治安が良い所、都会から意外と近い所、そして何といっても日本人がそれほど多くない所。本やインターネットで調べていく内に、2つの大学が浮上した。
 Southern Illinois Universityと、Western Illinois University。2校とも大学町で、いわゆるド田舎の地域にある。Southern Illinois University(以下SIU)は知っている人もいるかもしれないが、日本の新潟にも大学がある。新潟校に2年在学し、3年度からはSIUに留学して勉学に励むというもの。ここで問題が急浮上。それはどういう事か。

日本人が(Western Illinois University(以下WIU)に比べ)異様に多いということ

「っていうか最初の条件で日本人が多くない所って書いてあるじゃん」っていうツッコミは勘弁してください。知らなかったんです。ホント。ビツクリしました。

という事でWIUに決定。
準備・出願
そして上の空
 メインの出願先がWIUに決まった事で、早速準備に取り掛かろうとしようとした。
その時驚愕の事実が!!
と、中途半端に某番組風に言ってみました。あ!ごめんなさい消さないで!
 大学入学に必要なGPAがギリギリだったのだ。どの大学でもBuisinessは人気があり、俺のGPAではちょっとギリギリで、自分よりGPAが高い入学志望者の数が多いと入れないかもしれないとカウンセラーから言われた。入学できなかったらとんでもなく恥ずかしい(中学の頃から留学してやると言っていたので)という事がはっきりとわかっていたので、WIUよりもちょっと低いSIUを世間でいう、すべり止めとして出願した。できるだけ2校とも落ちたらどうしようとか思わないようにね。ホントに落ちたら洒落にならんかったから。
 (ICSで)出願に必要だったのは、
  1. (高校の)成績証明書
  2. (高校の)卒業証明書
  3. (金融機関の)残高証明書
  4. エッセイ
  5. (当然)出願書
  6. あと何か
これらを合格を祈りながら書き、あとはICSに任せた。
 そして2校へ出願。2002年4月に出願して7月上旬に結果が解ると言われた。その間はバイトでもして小遣いを貯め様という事でバイト探しへ。この間は大学に関してはホントに上の空だった。(たぶんこれの使い方間違ってますね)
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